歴史

History
歴史

学園の歴史

昭和05年(1930)

自由主義教育を目標に掲げ、手塚岸衛が自由ヶ丘学園(中学校)を現在の地に創立。

昭和10年(1935)

中興者藤田喜作により、男子中学校として新しく出発し、質実剛健の野草的教育を目標に、青少年の教育に専念。

昭和23年(1948)

教育制度改革により、校名を自由ヶ丘学園中学校高等学校と改称。

昭和34年(1959)

中学校を休校とし、校名を自由ヶ丘学園高等学校と改称。

昭和51年(1976)

順次校舎の改修工事をすすめ、教育環境の改善と充実をはかる。

平成03年(1991)

全館に冷暖房設備を設置。

平成06年(1994)

体育館新築。
新校舎建設計画開始。

平成07年(1995)

5号館新築。

平成08年(1996)

6号館新築。

平成09年(1997)

1号館新築。

平成10年(1998)

2号館新築。

平成11年(1999)

3号館新築。

平成13年(2001)

付属棟新築。
創立70周年記念事業実施。

平成22年(2010)

教育改革1期スタート。
3コース制とし、学習・進路支援の充実と強化をはかる。
5号館2階を学習支援室に改装。

平成23年(2011)

創立80周年記念誌発行。

平成25年(2013)

校庭を人工芝に整備。

平成28年(2016)

学習支援センター設置。
カフェテリア完成。

平成30年(2018)

全ての教室に電子黒板を設置。

令和元年(2019)

教育改革2期スタート。
新しいデザインの制服を採用。
進学5コース制に改編。

令和2年(2020)

アドバンスコースを新設し、6コース制に改編。
STEAM教育を導入。

令和4年(2022)

3つのコア、新7コース制スタート。

令和5年(2023)

共学スタート。

令和6年(2024)

3つのコース、9つの専攻へ改編。

校歌

School Anthem
校歌

自由ヶ丘学園 校歌

一、

我等が象徴フェニックス
いざ春風にはばたいて
遠くかけらん 我が友よ
全人類の理想峰
霧のなかに我を呼ぶ
ああ学園 我が母校

二、

起てや自由の丘の上
高き大空青くして
若きいのちは赤く燃ゆ
歓喜にもろ手高く上げ
いざやおどらん若人よ
ああ学園 我が母校

2022年、新校歌が誕生いたしました。

2023年の共学化に向けて、自由ヶ丘学園高等学校の校歌を新しく制作いたしました。詳しくは下記の特設ページをご覧ください。

「自由と希望-Freedom-」

一、

風かおる丘に 心そよいで
自由の詩は 学び舎に響く
それぞれの道 輝く眼差し
あゝ 翼広げて 共にはばたく

二、

青葉の季節の 木立のように
しなやかな詩は 学び舎に響く
夢を育み 花咲くよろこび
あゝ 明日に向かって 共に伸びゆく

三、

流れる歴史の 行く手遥かに
かぎりない詩は 学び舎に響く
受け継ぐ想い 未来の礎
あゝ 心もやして 世界を築く

新校歌プロジェクトページはこちら

自由ヶ丘地名の由来

自由ヶ丘という知名の由来は、未だ何人の記憶も新たなことで、今更らしく書き記す必要もないが、唯今度何年かの後には、その由来を知る人も少なくなるであろうから、ここに略記して記録にとどめておきたいと思う。

自由ヶ丘なる名称の起りは、昭和二年十一月十四日此地に設立された自由ヶ丘學園に出發する。この學園は、自由教育を標榜して立った手塚岸衛氏の経営で、中學校、小學校、幼稚園を併設したのである。
一方東京横濱電鐵は己に同年八月開通し此地に九品佛前驛なるものを設けていた。所が其後二年を経て經て、昭和四年十一月大岡山より二子玉川まで、所謂二子線を開通するに当って、九品佛驛なる名称を、距離の関係上、同線上の寺境内に向った参堂の入り口に設けたので、先の驛名改称の必要が起り、会社は之に自由ヶ丘驛という創作新驛名をつけた。

驛名が自由ヶ丘となったので、附近に新しく居住した人達は、いつの間に郵便物などに自由ヶ丘驛前何番地と書く様になり、次第にそれが地名化して来て、遂に知名の改正を要求する聲とまでなって来た。

偶々衾西部耕地整理組合では、換地処分の認可や、町区域変更を申請する必要が起っていたので、重ねて、この地域改称要望の聲を極めて勇敢に取り入れ、之れが組合区域全部―後掲の如く、谷山野、谷畑西、谷灰野良、谷鷺草、中根西、谷権現前の全部、谷畑中、谷向下の一部―に汎って、自由ヶ丘と改称する事に申請した。斯くて昭和七年六月十六日付、東京府告示第三百四十七号に依り、碑衾町自由ヶ丘と認可せられ、尚同年十月一日の市域拡張の際にもそのままに、今日大東京の新興街衢を表わす目黒区自由ヶ丘となるに至ったのである。

斯くて自由ヶ丘學園(學校名)から自由ヶ丘(驛名)になり、更に轉じて附近一圓の知名となった譯で、今日までの多くのものと全く反対の行方をしたもので、地名としては全く類のない、珍しい由来を持ったものという事が出来よう。

参考文献『目黒区史』(目黒区)
出典 学校法人 自由ヶ丘学園『学園の70年 自由ヶ丘中学校高等学校の軌跡』2001.11
(自由ヶ丘学園創立70周年記念誌)